僕の記事を読んでいただきありがとうございます。
僕のブログでは「定年を迎えた夫婦が円満に心配なく老後生活を続けていくにはどうしたらよいのか」について様々な角度から事例を取り入れながら解説しています。
まずは以下を読んでいただくにあたり僕がどういう人物なのかについて紹介させていただきます。
今現62歳になりますが、過去に会社経営を3社していましたが倒産することになり負債総額3億8千万円を背負うことに。
家族に迷惑を掛けられないので、便宜上離婚をすることに。しかし、実際は繋がっていました。
その間、ヤクザに追い込みをかけられ債権者から裁判を26度も打たれたことがあります。
「もう、死ぬしかない」何て言うことは一度も考えたことありません。
何とか立て直しをはかりその後、家族とも一緒に暮らせるようになりました。
借金については自然消滅したものもあり、裁判で判決を受けたものもあり全て無くなりました。
そして、この経験を生かして企業再生や会社のコンサルタントをしていたこともあります。
そして今はこうしてブロガーとしてブログを日々書いています。
そんな僕がこの記事では「熟年離婚の驚きの理由3つ」について書いています。
この記事を読むことで、熟年離婚の時代背景が分かると共に今現在の熟年離婚の実態が分かるようになります。
その理由が分かったうえで、熟年離婚を回避するのにはどうしたらよいのかについても踏み込んで書いていますので、老後の生活が不安の方にはぜひ読んでもらいたいと思います。
熟年離婚の時代背景と驚きの理由3選
団塊世代という言葉が使われてからどのくらい時間が過ぎたのだろうか?
それは今から16年前にさかのぼる2005年のこと昭和22年生まれの人たちが60歳になり定年を迎えた年だった。
渡哲也と松坂慶子が熟年夫婦を演じる「熟年離婚」というテレビドラマが朝日テレビ系列で放送された。
このドラマに触発された形になり、定年退職後の夫婦の在り方がクローズアップされた。
その頃の熟年離婚の形と言えば、妻から夫に三下り半を突きつけることがほとんどだった。
しかし、今では様相が驚くほど変わってきている。
それは夫から妻への三下り半と言うのだから驚きだ。
その驚きの理由は次の3つ。
その1.夫の浮気
その2.あきらめきれない夢の実現
その3.妻への不満
一つ一つ見ていくことにしよう。
夫の浮気
長年一緒に連れ添った夫婦は空気のようなものになるという。
空気みたいな存在って言うのはどんな存在なのだろう?
それは居ても居なくても何ら視覚に入らないということ。
こうなると離婚は秒読み状態と言ってよい。
なぜなら、お互いが関心が無くただ単に一緒に生活をしているだけだから。
情けない話であるが、長く連れ添った夫婦にはこんなケースが多いのだ。
事実、僕と家内ともこんな時があった。
こんな状態だと行きつくところは「俺はこんな女と結婚したのは間違いだった」と現実逃避。そして、身近な女性へと目が向いてしまうのだ。
職場不倫と言うのはこんな時に頻発する。
ある定年間近なサラリーマンAのケース
結婚生活33年目に差し掛かった時だった。専業主婦の妻との関係がギクシャクしはじめたのは。会社からの辞令で人事異動に伴い総務から企画に部署が変わった。
それに伴い帰宅時間が遅くなり、妻との生活体系が違ってしまった。すれ違いの始まりだった。
それまでは床に就くのはいつも一緒だったのにもかかわらず、僕がいつも遅いので寝室を別々にしたことがすれ違いを加速してしまったようだ。
建前上は「夜遅く帰宅した時に、物音を立てて起こしてしまうと申し訳ないから」というものだった。
しかし、それをいいこと毎日酒を飲んで帰ることになってしまった。
そんな折、企画室の一回り年下の女性と良い仲になってしまった。
仕事のことや将来のことを話すうちに「俺は女房ではなくこいつと結婚する運命だったのか」と思うように。
そして、妻に「一人になりたいんだ」「一人にさせてくれ」と離婚を切り出した。
以上のように夫から離婚を切り出す裏には 「浮気」があるということだ。
あきらめきれない夢の実現
毎日、眠気眼をこすりながら満員電車に揺られ会社に出勤。
万年ストレスで血圧は上がり気味。
会社に近づくにつれて頭痛が酷くなってくる。
「今日もあのえこひいき課長の顔を見なきゃいけないのか~」「今日もあの禿げ頭の部長に媚を売っている社員を見なきゃならないのか~」と。
俺の人生はいつまでこんな状態が続くのだろうか?
それもこれも家族のためとあきらめてこの屈辱に耐えてきた。
でもあと少しで退職を迎えられる。
ある定年間近なサラリーマンBのケース
大手証券会社に勤務、エグゼクティブプロデューサーとして活躍してきた。
重圧に打ち勝ち仕事ひと筋で働き続けてきた。
でも、「いつかは海外で事業をはじめたい」という長年の夢を持っていた。
良く尽くしてくれていた妻で、結婚した当初から「あなた、日本で安定した生活をしたいので定年まで今の会社で頑張ってね」と言われてきた。
しかし、どうしても俺の中でふつふつと燃え滾るものは消えたりはしなかった。
海外で独立する準備を粛々と進めてきた俺に最後のチャンスが訪れた。
そして、「海外で独立をしたい」と告げた。
しかし、家内は猛反対。泣きつかれたが俺は一歩も引かなかった。
とりあえず、今の家を家内に渡して離婚が成立した。
以上のように男の夢に女はついていけないのだ。
妻への不満
家内とは結婚してもう30年以上になる。
結婚当初は惹かれあって情熱もあり愛し合っていた。
なぜなら、家内がやることすべてが愛おしく思えたから。
しかし、結婚生活も時が経つと色々と見えてくる。
元来、料理が下手だった家内は「お料理が下手だけど、ごめんなさい。料理教室で習おうと思っているの?あなたどう思う?」等と訊いて来るもんだから、「大丈夫だよ。七海の作るものなら何でもおいしいから」等と言ってしまった。
しかしその後、料理はしなくなりスーパーのお惣菜やコンビニの弁当で済ます毎日。
子どもも二人授かったのであるが、二人とも結婚して独立。
「なんでお前は部屋の掃除をしないんだ」
「だって掃除好きじゃないのよ」などとへっちゃら。
俺だけ犠牲になり働きづめできた人生。
一方、妻と言えば三食昼寝付きどころか六食フリータイム付きだ。
もういい加減にしてくれ!堪忍袋の緒が切れてしまった。
家内に三下り半を突き付けた。
ある定年間近なサラリーマンCのケース
「お前冗談じゃないぞ。もう我慢の限界だ」と、家内に離婚を宣言したのは昨年のこと
なぜなら、妻への不満が積もりに積もって爆発寸前だったから。
34年間専業主婦だったにもかかわらず、あろうことか家のことや子どもの教育など手抜き放題。最初はどんなに注意たことか。しかし、僕の言葉は家内には届かなかった。
洗濯物はとりこんだらそのまま、たたみもしない。食事はコンビニかスーパーのお総菜。
子どもが小さいときは送り出しはするものの、帰ってくればすぐにテレビの前を陣取る。
ワイドショーに飽きると今度はゲーム三昧。
若い頃の女性としての「美しくなりたいとか綺麗でいたい」などという生活には程遠い。
もう我慢の限界。自分だけが働いていることに疲れてしまった。
昨年、子どもが成人したことをきっかけにこれ以上、家内との共同生活の将来を思い描けなくなったというわけだ。
以上のように夫婦は男と女という関係の上に成り立っているもの。それが女性という根本を疎かにしてしまってはどうにもならないということか。
まとめとして・・・最愛の連れ合いといつまでも
長年連れ添ってきた相手との離婚、いわゆる熟年離婚の最たる理由について見てきました。
離婚に至る理由や原因が分かっていれば回避できないものなのでしょうか?
最後になりますが、体験談から考察してみたいと思います。
僕と家内は結婚33年目を迎え、出前のサラリーマンのケースのように離婚の危機にありました。
しかし、僕たちを離婚の危機から救ったのは孫の存在だったのです。
男に騙された娘が22歳という若さで父無し子(ててなご)を身もごり「お父さん、お母さんどうしてもこの子を産みたいの」と泣きつかれたことでした。
娘の尋常ならぬ訴えに負けた僕たちは娘の訴えを許しました。
産まれてくる子には最初からパパが居ないことを考えると胸が痛みました。
でも、明るい孫は僕と家内との関係を修復してくれたのです。
それまで会話などほどんどなかった僕たちの間には孫のことで話が弾み、自然に笑いがあふれる家族になれたのです。
その上、「詠斗に犬のぬいぐるみを買ってあげよう。詠斗にスイミングを習わせよう」 等々おじいちゃんとおばあちゃんの役割は増えて行ったのでした。
僕は詠斗に掛けるお金を工面するため、ブログでアフィリエイトをやったり、YouTubeで動画を上げたりと
詠斗の喜ぶ顔見たさで新しいものに挑戦ができたのです。
今考えると、マンネリの夫婦生活を一変させてくれたのは孫の存在が大きかったのです。
夫婦間の最低のルール「会話」を取り戻した僕たちは老後の将来についても語るようになり、不安の無い老後生活には余裕のある「お金」が必要不可欠という結論になったのです。
コロナ禍の現在では僕たちのようなシニアが副業として最適なのはブログとYouTubeだと確信。
孫の詠斗も10歳となりました。後10年、詠斗が20歳になったら一緒に居酒屋に飲みに行くのが今の生きがいです。
それまでは今まで通り、詠斗押しのおじいちゃんなのです。
追記:僕たちは不幸中の幸いで熟年離婚を免れました。そして今は次の記事のような生活をしています。興味のあるかたは次の記事をお読みください。
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